四半世紀を振り返る的な①

今日から、備忘録として25年間を振り返ろうと思う。非常につまらないものなので本当に暇な人だけ読んでください。



0歳〜2歳 → 地元の病院で生まれた後、新潟市内のマンションで暮らしていた。記憶はないが、言葉が出るのが凄く早かったらしい。


3歳 → 現在の実家のある街に引っ越し、アパートで暮らしていた。保育園で女の友達が1人しかいなかった。給食を物凄く食べるので給食の先生に溺愛されていたらしい。余談だがその給食の先生は今、母親(保育士)と同じ保育園で働いているらしい。



4.5歳→現在の実家を建て、引越した。保育園も転園した。善悪の区別がつかず、よく保育園で給食の盗み食いや窃盗をしていた記憶がある。5歳の時に遂に保育園にバレて呼び出され、親に物凄く叱られた。そこで叱られていなかったら、万引き少女にでもなっていたかと思うと本当に恐ろしい。当時は本を読むのが好きで、保育園の中の誰よりも本を読んでいたらしい。


小学校 → 高学年になるまで、運動神経が凄く悪かった。図書室や街の図書館で物凄く頻繁に本を借りていた。世界の伝記シリーズや赤毛のアンシリーズ、怪談レストランシリーズなんかが好きだった。進研ゼミの他に、親に物凄く難しい問題集をやらされていたせいか成績は本当に良かった。習熟度別の授業では毎回1番上のクラスにいた。だが自分の意見を人前で発表したり、話し合いをするような授業やグループで何かをするような授業は大の苦手だった。校外で茶道・水泳・器械体操を習わされていたので夜や休日はほぼ毎日習い事に行っていた。6年生の冬に、受けないつもりだったがノリで中高一貫を受けることにした。成績が良かったので当然受かってしまった。そうしたら、地元の中学に行くみんなと離れることが急にきつくなった。小学校は給食の為に行っていた。毎日おかわりをしたり、自分が給食当番の時は自分のおかずを多く盛る小細工をしていた。早食いのため、給食を毎回1番に食べ終わってしまうのが恥ずかしかったので、3番目くらいに食べ終わるようスピードを調整して食べていた。厳しい家庭だったので、私が間違った事や悪い事をしたら、母親から日常的に暴力を受けていた。その事ががきっと今の性格に繋がっているんだろう。母親もきっと、善悪の区別がつかない私を正したかったんだろう。しかし暴力や暴言を用いた躾以外を知らなかったんだろう。私は子供に自分と同じ思いをさせたくないし、自己中心的で未熟な人間故に立派に育てられる自信もないから、子供は作らない。





今回はこのへんで終了